melophobian

安川奈緒の現代詩手帖掲載詩などを写経のように書き写す。

「Becoming you」安川奈緒

それは、ありやなしやの晦渋によってしたためられた足裏健康法…… お前はめくられるバーガーの類として生まれた、そしていくつかの傑作ポルノを残して死んでいく そのポルノは縦二〇センチ、横十五センチ、高さ三センチ、上から85、50、80である すなわち常に虚偽であり、書物でなく女体でなく、そして苦瓜に至るまで……

 

この適度な空腹の時代に、自分より偉大なものは後ろから来る、すぐ殺せ 愛は断固として見返りを求めるということに変わりはない 見返りを求めない愛ほど不潔なものを私は知らない そして、無償で空間にいるわけではないのだから、お前の愛以外はすべて借金だと思う 「私は決して描写はしない」と言う鳥が灰になり ユニクロはどこにでもある

 

驚くな、ちょっと動いただけだ 壁のもとではすべてが芝居がかる まるで今が晩年ではないかのような演技が カリフォルニア・ロールの二人を包み込む ここにおいてなのだ、人間の形象の奴隷であることから解放され、別の可能性が躍り上がるのは「何か取るべき責任があるなどと、勘違いしたりしない。不安定の「印南」に対してさえも」だが、記憶、記録、忘却のすべてがおしなべて悪いと分かった時のお前の顔ったら!

 

「こんな筋、あんな筋」というプラカードを掲げたままで、私たち、赤い麺を挟んで抱き合った 離れない 「痴話だね、活用された語幹だね、でもここからはお楽しみに、なぜなら具ばっかりだから、具しかないから」斬首を見ると斬首を思い出すが斬首など見たこともない B・B、C・C、K・K以外のすべてを船に乗せ、どさくさにまぎれてどさくさにまぎれる時、いつも勇気をくれるのは「ヒ・タ・イ・ガ・セ・マ・イ・ネ!」

 

これらの行は、ある時間に、ある種の姿であることを強いられた者のために? しかしアイダホはポテトの州のままであり、苦しまない飼い葉桶というものもある お前は男の作品と化し、精神をすっぽりと抜き、肩を叩かれると「それいけ、問われろ知識人!」と言うだけの女 今は何を見てもお前を思い出す 人から見ればいつだってヴァニタス

 

「見てみろ、この体はお前の体を正確に模倣している お前の体になるために、今まで生きてきた、そして努力を重ねてきたんだ お前の醜さを見せてやるために」

 

死刑になったことがないから分からない でも蔦をくまなく眺めるということはありうると思う でも接吻の担架の上で切ない寝返りをうつ者があるのに…… 足がありすぎる者に松葉杖を与えようとも思うのに……「一度も視線を向けられずに遺棄された人の悲しみ、喜びよ」ここに出会ったばかりの蛸がいる 連れて帰ってきた 人生で手にしたのはこれだけだ 大切な人、その人の形をした海から連れて帰ってきたのだ